2005年4月24日に九電記念体育館(福岡県西方沖地震、玄界島避難所)にて
上映されるまでの記録です。(記録写真撮影 船津宏文、浦瀧恵美子、ビデオ 辻本潤一)

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● 準備段階

 4月20日 おくスタジオにすべてのスライド
が集められた。
撮影者の名前と住所、スライドの点数などを
データーベース化し、不都合のあるマウント
などは修正や交換した。


スライドと同時に流す音もテスト。
奥個人が持っていたミキサーなどの多重録音用の機材を
使ってCDで波の音をバックに、浦瀧さんが編集したMD
に入った楽曲を流すことに。
エフェクターでホールのようなリバーブを加えると
なかなかいい雰囲気になった。


5人がかりで映写順を編集。
柔らかな日差し→夕方→夜桜→
真昼の強い日差し、という流れでまとめ、
似たようなものが続かないように、後半に
現在の玄界島に咲く桜、地震前の玄界島の
風景、そして最後に玄界島から見た青空、と
まとめていった。
仮設の大きなライトテーブルに5名10本の
手が伸びる。


最終的な140枚の順番が決まった。

こうして見ると圧巻だ。1コマ1コマに
みんなの想いがつまっている。



● 4月24日 スライドショー当日

避難所最後の日。

こういうことをやるのに売名行為のように受け取られるのは
嫌だったので、福岡市の担当者と避難所の代表者以外の方達には
僕らが何者なのか? 一切素性を明かさずに始めた。

午後3時頃に集合。この長いスクリーンは
右田さんの車に無理して積んでもらった。


プロジェクターなどの機材も予備機も含めて大量に用意


現場の担当者と打ち合わせ。

非常に好意的でスムーズにことが運ぶ。


九電記念体育館の3階からスクリーンを
ロープで降ろす。


地面で一度開いて風対策にバーを取り付ける


イメージラボ写真教室とプチフォト写真教室
からも大勢手伝いにきてくれて10数名での
作業となった。



バーを取り付けたスクリーンを再度引き上げる。


スクリーン下端はロープで引っ張り固定。

自衛官まで手伝ってくれた。


どうしてもロープで引っ張れないところは、自衛隊から
借りた土嚢で固定する。

(自衛隊に手伝ってもらった写真教室というのも他にはないだろうな(笑) )


これだけ大きなスクリーンになると風圧も無視できない。
最悪の場合はスクリーンが裂ける。
補強のためガムテープでも固定。


3階ではスクリーンの位置を決めて
ロープを固定。


避難所の閉所式典前ぎりぎりに
スクリーン設置が終了。

このあと市長なども来て閉所式。
玄界島のみなさんはこの広場で
バーベキュー。

まだ日も高く、映写テストなども
できない。


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